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イリュージョン
いきなり「イリュージョン」といっても、大がかりなマジックのことではありません。美術史の業界用語かもしれませんが、実際にある物の似た姿を表現することで、普通「幻影」と訳されますが、かえってわかりにくいかもしれません。一般的には「写実」ということばがなじみ深いかもしれませんが、これは元々「現実社会」をテーマとする「realism(英)」という考え方から来ており、美術が「真実」を表現するという考え方は、近年になって流行しているのにすぎないことは、指摘しておきたいと思います。美術が実物に似ているのがよいという価値観は、それほど普遍的なものではなく、古代ギリシャ・ローマと、それを復活させた、ヨーロッパルネサンスとその影響を受けている現在だけ、というのは前回も書いたところです。古代ギリシャを代表する哲学者のプラトンも、現実を似せているだけの、見る者をだますような絵を批判しており、美術が表現すべきは「理想(イデア)」であると述べています。「幻影」というと、何か否定的なニュアンスがありますが、それは美術が目指すべきものではないという意味が含まれているのかもしれません。プラトンによれば、我々が生きている現実の世界は、イデアの世界の不完全な「写し」であり、美術がその現実を「イリュージョン」により「写し」ているようでは、「イデア」から極めて隔たっているにすぎないということです。
なぜ、こんな面倒くさいことを書き始めているかというと、先の講演会で貴重な質問をいただいて、以来ずっと考えていることがあるからです。つまり、これまで、洞窟壁画の動物像などの写実的表現と近代美術の写実的表現は、本質的に異なると論じてきていますが、同じことばを使用していて、必ずしも明瞭ではなかったと反省しています。しかし、「イリュージョン」という概念を導入しますと、近代美術は「イリュージョン」だが、洞窟壁画は「イリュージョン」ではない、と明確に述べることができるので、非常にすっきりして、今後ははっきりと議論を進められそうな気がしています。何回か前に批判しました「シャーマニズム説」も「意識内に現出した」イメージの「イリュージョン」として洞窟壁画や先史岩面画を捉えている点が、近代的な芸術観に縛られているようで、それを素朴であると言い表した次第です。 上の作品はフランス・ピレネー地方にあるティビラン洞窟のクマであり、作者が引いたのは背中の線1本だけであり、他の部分は鍾乳洞の自然の岩のかたちをそのまま受け入れています。いずれ詳しく説明すると予告だけしている私の「統合論」というのは、作者たちが自然に岩の形状に、動物などの姿を見いだして、それをなぞったものが洞窟壁画だという考え方です。これについても、もちろん批判は多々あるでしょうが、ここで述べたいのは、まさに洞窟の自然の岩面に初めて現れたかたちが洞窟壁画であり、何かの「イリュージョン}では決してないということです。美術を内的に形成されたイメージの「イリュージョン」による投影であると考える常識的な芸術観からはかけ離れていて、トンデモナイと笑い飛ばされそうですが、今後もこの方向で美術について考え抜きたいと決意しているところです。
by rupestrian
| 2012-09-04 17:07
| 先史岩面画
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