世界各地の先史岩面画に関心を抱く皆さんとの情報交換を行う場です。
by rupestrian
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アートの脳科学

 このほど、新刊の川畑秀明さんという方の『脳は美をどう感じるか:アートの脳科学』(ちくま新書)という本を読んでいて、洞窟壁画も扱っておられるので、何気なく読んでいると、私が15年以上前に書いた論文が引用されていて、驚いた次第です。洞窟壁画が「利用か投影」かという節で、私が「統合」と呼んでいる現象を論じておられる部分です。私の論文は、私が学生の時に助教授だった先生の退官を記念しての論文集に掲載したもので、私の現在にいたる「統合」論の序説的性格を持っているものです。個人的には、フランス語の文献のみを注記したスタイリッシュな構成で、私なりに密度も濃く、意識の中では代表作の一つと考えているもので、それが引用されているのは感慨深いものがありました。発行部数が少なかっただろう学術書の一論文を丁寧に読んでいただいているだけで感謝であり、ここで紹介して、多くの方に手を取っていただければそれでいいのかもしれませんが、つい、研究者の悪い癖で批判的なコメントをしてしまうことをご容赦ください。

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 川畑さんは認知心理学がご専門のようで、脳科学を武器にしてアートに迫ろうとされているようです。これまで、心理学の立場から美術を論じようとする試みは枚挙にいとまがなく、特に洞窟壁画に関しては、あまり資料がないこともあり、多くの議論が展開されてきたようです。先に紹介した、イギリスのホジソンさんも、心理学の立場から、「見立て」を「Seeing-in」と理解して、まさに「統合」を論じようとしています。まだ40歳にもなっておられない、新進気鋭の川畑さんの本では、アートの対象は多岐にわたっていて、自らの芸術体験を出発点として、それぞれの作品や作者に対してしっかりと調べられて、現時点での脳科学的観点からの芸術理解が的確にまとめられていると思われました。そういう点では、以前批判しました、トンデモナイ『洞窟のなかの心』とは一線を画していて、読んでも損はない本でしょう。
 私自身は、細かいことにこだわってしまうのですが、美術史を立脚点としていて、できるだけ「見えるもの」だけを根拠にして,小難しくいえば「現象学的」方法意識に基づいて、洞窟壁画などを論じてきています。「心理」のような「見えないもの」に体系性を認めて、その発露としてアートを理解しようとする試みもわからなくはないのですが、やはりまだまだ人間の心の中は「見えないもの」ばかりで、美術も例えば「病跡学」が決めつけるようには、人間の内的な状態の自働的な出現物ではなく、現実社会の中で奮闘するアーティストの極めて複雑な要素を総合化した結果の産物であり、「見えないもの」と「見えるもの」のギャップは依然として大きいようです。脳科学も、もちろん世界の最先端の研究者が日々研鑽されている分野ではあるでしょうが、まだまだ「見えないもの」が多く残っているのではないでしょうか。もちろん「見えないもの」をできるだけ「見えるもの」にしていくのも、研究の大きな目的であり、芸術理解もじっくりと進めていただきたいものだと願っています。
 もうひとつ、細かすぎることに難癖をつけるのですが、引用されているリュケやブルイユの文言は、私が上記論文の中で、正確な感じを醸し出すために、あえて生硬な訳文にしたものをそのまま使われていて、それを紹介していただいたことは評価しますが、ブルイユの本も主要参考文献に記されておらず、私の印象では、フランス語の原典に当たっておられないのではないかという危惧を抱きました。もちろん、私の訳文を信頼していただいてのことでしょうが、やはり、文献全体は無理でも、引用箇所は,一度原文に当たるべきではないかと、アカデミズムの一端に身を置く者として、思いました。川畑さんだけでなく、誰からでも私にお問い合わせいただければ、いつでも資料をお送りするつもりですので、よろしくお願いいたします。
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by rupestrian | 2012-10-22 15:08
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