世界各地の先史岩面画に関心を抱く皆さんとの情報交換を行う場です。
by rupestrian
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日本発の洞窟壁画論

 またしても、かなり長い間、書き込まなかったが、このほど、日本発信の洞窟壁画論があることを知ったので、報告する。

http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2363958/Did-cavemen-DRUGS-New-study-claims-early-paintings-prehistoric-man-high-psychedelic-plants.html

 上記、7月15日付のイギリスの新聞、デイリー・メイルの電子版に掲載された記事によると、東京大学の池上高志さんと、その研究室に所属する2名の外国人の、計3名の連名でAdaptive Behaviorという学術誌にTuring instabilities in biology, culture, and consciousness? On the enactive origins of symbolic material culture(生物学、文化および意識におけるチューリングの不安定性とは?象徴的物質文化の活性化された起源について)という論文が発表されたとのことである。(下記pdfファイルを参照のこと)

http://froese.files.wordpress.com/2013/06/froese-et-al-13-turing-instabilities-in-biology-culture-and-consciousness-on-the-enactive-origins-of-symbolic-material-culture.pdf

 池上さんは、私自身ははじめてその存在を知ったが、複雑系と人工生命の研究者として出発し、従来のアカデミズムの枠組みを打破して、多岐にわたる関心を示しておられるようで、最近ではアートのプロジェクトにも関与するなど、現在の日本を代表する知性の一人のようである。その研究室には、世界各国から俊英が学びに来られていて、今回の論文も、筆頭にはイギリス人で、メキシコの研究機関にも籍を置いているTom Froeseがおり、おそらく彼が中心に構想した論文だったのだろう。
 さて、その内容だが、16ページにわたる論文それ自体は、まだ精読していないが、ざっと目を通すと、以下のようなことが論じられているようである。
 洞窟壁画をはじめとする古い時代の美術には「記号」とも称される、幾何学的なかたちが表現されているが、それらは、作者たちが幻覚剤で高揚した精神状態(アルタード・ステーツ Altered Sates)において得た形態が元になっている、ということである。幻覚剤は、近年においても、「シャーマン」が使用して、超越的なものとのコミュニケーションを試みたものであり、洞窟壁画の解釈としても、最近流行している「シャーマン説」で、繰り返し言及されている考え方であり、それほど新味はないといえるだろう。この論文は、最新の研究成果に基づいており、私が完全にフォローすることはできないが、1950年代にチューリングという研究者が提唱した「不安定性」という概念が題目にもなっていて、幻覚剤を服用することで、色々な形態パターンが生成して、それと世界各地の「記号」表現と関係があるのではないか、と主張しているところが、新しいのだろう。もちろん、私の理解能力の不足から、誤解しているところもあるかもしれないが、洞窟壁画研究者の端くれとしては、まだまだ受け入れがたい仮説であるように思われる。
 この論文で、洞窟壁画に関し参考にされているのは、このブログでも批判した、例のルウィス=ウィリアムズの著作だけであり、まずは、洞窟壁画理解が偏っているのは、否めないところである。もちろん、狭い学界を越えて、世界的に流布しているのは、彼の本などだけであり、それを読むことは否定されるべきではないが、もう少し堅実な研究書も参照してほしいものである。「シャーマン説」にもとづく洞窟壁画論の、根本的な問題は、このブログでもたびたび表明しているとおり、美術が、現実や幻覚など、人間が元々形成していたイメージが投影されたものと考える、素朴な芸術観に基づいていることであり、この論文もその限界を超えてはいないようである。私が考えるに、美術は、元々存在しないかたちでも、ゼロから作り出せるものであり、この論文の場合、美術以外の脳内などにかたちの源泉を求めること自体が、やはり的外れに思えるのである。
 それとも関連するが、この論文では、作者たちが制作時に幻覚剤を服用して、それから得られるかたちのパターンに意味を見いだして、それを岩の面に投影したと考えているようだが、これも納得できないところである。美術を何らかの自働機械的な作用の結果と見なすのは、美術の科学的な理解のためには必要かもしれないが、私の信じるところでは、美術とは、明確なかたちを有するものとして、極めて自覚的な明晰な選択の果実であり、しかも、古い時代になればなるほど、個人の内面よりは、社会の人々の共同作業の中で、意義あるものと承認されたかたちだけが表現に至った、と主張したいのである。作者が幻覚剤を服用しながら、作品を制作していたという情景は、とうてい見たくないのであり、こういう偏狭ともいえる芸術観を、私としては堅持してゆきたいと、改めて決意したところである。
 そんなことでは、古い時代の美術のことなど何もわからないではないか、との批判もあるだろうが、それが過去に制作されて、現在に至るまで残って、我々の目の前に存在する以上、それを見つめようとするのは当然のことであり、もちろん、すべてを理解するには至らないだろうが、現在の我々の限られた知識をただ押しつけるのではなく、単なる感傷的な思い込みにすぎないかもしれないが、少しずつでも、作者たちに寄り添っていきたい、と願っているのである。
 下の写真は、この論文でも言及されている南アフリカで発見された、約70,000年前のブロンボス洞窟の「線条のあるオーカー片」であり、素朴な芸術観において、最古の美術と喧伝されている代物だが、もちろん、私は、視野の狭い専門家として、前後の年代に類例がまだ発見されていない、孤立した現象である以上、それを美術とは認めておらず、機械的な往復運動の痕跡にすぎないと、改めて断じておきたい。

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by rupestrian | 2013-07-18 15:15 | 先史岩面画
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