世界各地の先史岩面画に関心を抱く皆さんとの情報交換を行う場です。
by rupestrian
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カテゴリ:先史岩面画( 66 )

オルドス式銅剣鋳型の発見

 本日の朝刊で、オルドス式銅剣鋳型の発見というニュースを知り、久しぶりにこのブログに向かった次第である。滋賀県、琵琶湖西岸の高島市にある上御殿遺跡から、これまで類例のない遺物が発見されたということで、紙面に紹介されていた識者の発言でも「想定外」とあり、興味をそそられた。このように、その存在を誰も予想さえしていない代物が見いだされた時こそ、まさに新発見というべきであり、これもその類に列してよいかもしれない。従来は、大陸からの銅器はすべて朝鮮半島経由で伝わったとされていて、朝鮮半島でも類例が見つかっていない以上、その来歴は不明で、おそらく日本海経由の直接的なルートがあったのだろうというのが、現時点での予想のようである。
 私は、この日本先史岩面画研究会の主要研究対象である、フゴッペ洞窟岩面刻画を研究する過程で、大陸からの、間宮海峡(タタール海峡)、樺太(サハリン)沿岸経由の人的移動と交易があったのではないかと主張していて、今回のニュースを知って、まず、このルートのことが脳裏に浮かんだのである。新聞では、日本海を直接渡るルートを想定してか、矢印が記入されていたが、これはあまりにも雑な解説図といえるだろう。
日本の先史時代は、どうしても、朝鮮半島経由の西側ルートが重視されているが、やはり、サハリン沿岸経由の北側ルートも無視できないのではないだろうか。まだまだ資料が圧倒的に少ないことが理由だろうが、現在の人口の分布と、先史時代の人口の分布は異なっていて当然であり、今、研究者が多い地域が、ずっと人工集中地帯だったとは限らないのである。北海道の先生方も、奮闘されているが、絶対数がまだ少ないのか、日本列島がいつの時代も西方のみに開かれていたというイメージが一般的なのが残念なところである。
 フゴッペ洞窟からも、発掘当初「フゴッペ式」と名付けられた、珍しい土器片があり、他にも、サハリンの「鈴谷式」や「宗仁式」土器との関連性も指摘されていて、その北方的様相は顕著である。下の写真はフゴッペ式土器の出土状況を1970年報告書から転写したものである。

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 わたしが思うに、ユーラシア大陸と日本列島は、先史時代を通じて間断なく、サハリン沿岸経由の交流があり得たのであり、岩面画の制作伝統も、その一時期に到来した一傾向ではなかったかと想定している。ユーラシア大陸におけるその元となった文化を、私は韓国の金元龍先生の著作から「タガール・オルドス・スキタイ文化複合」と考えており、まさにオルドスは、紀元前5世紀以降の中国北部の青銅器文化であり、今回の上御殿遺跡における発見も、先史時代のダイナミックな交流の産物といっていいのだろう。現在の私たちは、過去のほとんどをまだ知らないのであり、もちろん、現時点での知見を元にストーリーを構成することは、学問的にも意味があるが、それにとらわれることなく、自戒を込めて、謙虚に、新発見に対峙したいものである。
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by rupestrian | 2013-08-09 13:16 | 先史岩面画

日本発の洞窟壁画論

 またしても、かなり長い間、書き込まなかったが、このほど、日本発信の洞窟壁画論があることを知ったので、報告する。

http://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-2363958/Did-cavemen-DRUGS-New-study-claims-early-paintings-prehistoric-man-high-psychedelic-plants.html

 上記、7月15日付のイギリスの新聞、デイリー・メイルの電子版に掲載された記事によると、東京大学の池上高志さんと、その研究室に所属する2名の外国人の、計3名の連名でAdaptive Behaviorという学術誌にTuring instabilities in biology, culture, and consciousness? On the enactive origins of symbolic material culture(生物学、文化および意識におけるチューリングの不安定性とは?象徴的物質文化の活性化された起源について)という論文が発表されたとのことである。(下記pdfファイルを参照のこと)

http://froese.files.wordpress.com/2013/06/froese-et-al-13-turing-instabilities-in-biology-culture-and-consciousness-on-the-enactive-origins-of-symbolic-material-culture.pdf

 池上さんは、私自身ははじめてその存在を知ったが、複雑系と人工生命の研究者として出発し、従来のアカデミズムの枠組みを打破して、多岐にわたる関心を示しておられるようで、最近ではアートのプロジェクトにも関与するなど、現在の日本を代表する知性の一人のようである。その研究室には、世界各国から俊英が学びに来られていて、今回の論文も、筆頭にはイギリス人で、メキシコの研究機関にも籍を置いているTom Froeseがおり、おそらく彼が中心に構想した論文だったのだろう。
 さて、その内容だが、16ページにわたる論文それ自体は、まだ精読していないが、ざっと目を通すと、以下のようなことが論じられているようである。
 洞窟壁画をはじめとする古い時代の美術には「記号」とも称される、幾何学的なかたちが表現されているが、それらは、作者たちが幻覚剤で高揚した精神状態(アルタード・ステーツ Altered Sates)において得た形態が元になっている、ということである。幻覚剤は、近年においても、「シャーマン」が使用して、超越的なものとのコミュニケーションを試みたものであり、洞窟壁画の解釈としても、最近流行している「シャーマン説」で、繰り返し言及されている考え方であり、それほど新味はないといえるだろう。この論文は、最新の研究成果に基づいており、私が完全にフォローすることはできないが、1950年代にチューリングという研究者が提唱した「不安定性」という概念が題目にもなっていて、幻覚剤を服用することで、色々な形態パターンが生成して、それと世界各地の「記号」表現と関係があるのではないか、と主張しているところが、新しいのだろう。もちろん、私の理解能力の不足から、誤解しているところもあるかもしれないが、洞窟壁画研究者の端くれとしては、まだまだ受け入れがたい仮説であるように思われる。
 この論文で、洞窟壁画に関し参考にされているのは、このブログでも批判した、例のルウィス=ウィリアムズの著作だけであり、まずは、洞窟壁画理解が偏っているのは、否めないところである。もちろん、狭い学界を越えて、世界的に流布しているのは、彼の本などだけであり、それを読むことは否定されるべきではないが、もう少し堅実な研究書も参照してほしいものである。「シャーマン説」にもとづく洞窟壁画論の、根本的な問題は、このブログでもたびたび表明しているとおり、美術が、現実や幻覚など、人間が元々形成していたイメージが投影されたものと考える、素朴な芸術観に基づいていることであり、この論文もその限界を超えてはいないようである。私が考えるに、美術は、元々存在しないかたちでも、ゼロから作り出せるものであり、この論文の場合、美術以外の脳内などにかたちの源泉を求めること自体が、やはり的外れに思えるのである。
 それとも関連するが、この論文では、作者たちが制作時に幻覚剤を服用して、それから得られるかたちのパターンに意味を見いだして、それを岩の面に投影したと考えているようだが、これも納得できないところである。美術を何らかの自働機械的な作用の結果と見なすのは、美術の科学的な理解のためには必要かもしれないが、私の信じるところでは、美術とは、明確なかたちを有するものとして、極めて自覚的な明晰な選択の果実であり、しかも、古い時代になればなるほど、個人の内面よりは、社会の人々の共同作業の中で、意義あるものと承認されたかたちだけが表現に至った、と主張したいのである。作者が幻覚剤を服用しながら、作品を制作していたという情景は、とうてい見たくないのであり、こういう偏狭ともいえる芸術観を、私としては堅持してゆきたいと、改めて決意したところである。
 そんなことでは、古い時代の美術のことなど何もわからないではないか、との批判もあるだろうが、それが過去に制作されて、現在に至るまで残って、我々の目の前に存在する以上、それを見つめようとするのは当然のことであり、もちろん、すべてを理解するには至らないだろうが、現在の我々の限られた知識をただ押しつけるのではなく、単なる感傷的な思い込みにすぎないかもしれないが、少しずつでも、作者たちに寄り添っていきたい、と願っているのである。
 下の写真は、この論文でも言及されている南アフリカで発見された、約70,000年前のブロンボス洞窟の「線条のあるオーカー片」であり、素朴な芸術観において、最古の美術と喧伝されている代物だが、もちろん、私は、視野の狭い専門家として、前後の年代に類例がまだ発見されていない、孤立した現象である以上、それを美術とは認めておらず、機械的な往復運動の痕跡にすぎないと、改めて断じておきたい。

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by rupestrian | 2013-07-18 15:15 | 先史岩面画

「泳ぐ人」異論

 私が勤めているところには様々なことを専門に研究している方々がおられ、日々、異なった視点からの示唆を得て、刺激を得ることも多いのはありがたいことである。先ほど、この前のETV特集の再放送をご覧いただいた水泳の研究者から、例の「泳ぐ人」は、本当は泳いでいないのではないかという感想をいただき、色々と考える機会になった次第である。

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 上の写真は3体の「泳ぐ人」が並んで描写されていて、それなりにもっともらしい表現ではあるが、これが本当に人間の泳ぐ姿を写したものかどうか、という疑問である。全体的に反り気味で、この姿勢では泳げないのではないかというのである。納得のいく指摘であり、よほどの水流があって、自ら泳ぐというより、流れに身を任せて浮きつつ進んでいる、と考えないかぎり、これを写実的に「泳ぐ人」とは解釈できないのではないだろうか。6、7,000年前のギルフ・キビールでは、相当湿潤な気候で、大きな川もあったかもしれないが、そうであっても、これは「泳ぐ人」ではなくて、「流れに身をゆだねる人」ということになるのだろうか。私も、美術を写実として解釈するなら、これは「泳ぐ人」ではなくて、チベット仏教などを想起して、大地に身体を打ち付ける、ある種の礼拝をする人ではないか、と述べたことがあるが、別に私が本当にそう思っているわけではないということは、この場で改めて言い訳しておきたい。
 美術は、何も目の前にあるものを、見えるとおりに表現しなければならないものではなく、具象的な作風であっても、夢で見たもの、空想したもの、未来の予想図、宇宙の彼方の想像図など、何でも表現できるところが特徴的なのである。だから、一見して、横位置の人物像が「泳ぐ人」の写実的な描写だと短絡的に考える必要はなく、全く別のものをこのポーズで表現している、と考えた方がいいのではないだろうか。そうすると、何でもありで、解釈の端緒もつかめないだろうが、本来美術というのは、ある意味、とても複雑な精神生活の産物であり、容易には、作者の心持ちへとは、現れた作品だけを通しては到達できないものなのである。
 解釈不可能論に陥っても、それはそれで問題ではあるが、ここではこれ以上深入りしないようにする。それより、今回の「泳ぐ人」ではないのではないか、という指摘から、私は「内触覚的(ハプティッシュ)」という用語を思い出したのである。これは、元々はドイツの芸術学者のリーグルが言い出した概念であり、人間を表現するのは自分自身を描くことであり、純粋に視覚的な、外側からの姿だけではなく、身体の内側の感覚も加味されているのではないかというのである。

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 上の写真の左上の像は、同じサハラ砂漠のアルジェリア、タッシリ・ナジェールの「厚足人物像」と称される作品であり、両足が極端に分厚くなっているが、これは、高速で走っている自分自身の、足に力がみなぎっている感覚が現れたというのである。また、両足が180度近くまで広がっているが、これも、全速力で走ると、足が前後に伸びているように自らは感じられるから、ということのようである。こういう、美術を視覚だけからとらえないという考え方が重要であり、まさに、全身の感覚が生かされて、作品があるということなのである。この「内触覚的」という観点から「泳ぐ人」を見ると、どのようなことがいえるのだろうか。自身の泳ぐ感覚を振り返ってみると、かえって、身体が反り気味になっているということもあるかもしれず、予想外の展開ながら、「泳ぐ人」の解釈も復活するような気もするが、どうだろうか。皆さんのご意見を、是非、コメントいただくか、下記アドレスまでメールいただきたいものである。

ganmenga@gmail.com
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by rupestrian | 2013-06-18 14:35 | 先史岩面画

盤龜臺(パングデ)の保存問題

 このブログは、ほとんど更新できていないが、興味深い情報が入った時には、どれだけ間隔が空いていても、書き込むことにしたい。
 韓国の英字新聞である The Korean Herald の5月7日発行分にパングデに関する記事が載っていたことがわかったので、報告する。パングデは日本先史岩面画研究会としても現地見学したことのある遺跡で、朝鮮半島島南部のウルサン市の内陸部に位置する。川縁の断崖に300以上とされる岩面刻画が制作され、年間の半分以上の時期が、1965年に建設された、下流のダムによるダム湖に水没しているという、世界的にも特異な状況を呈している遺跡である。水没することで、岩面刻画の制作されている岩面が劣化して、保存によくないというのはいうまでもない。1971年に近くの別の先史岩面画遺跡である川前里(チョンジョンリ)遺跡の調査の際に発見されたが、以来、その保存問題は懸案であり続けている。

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 上の写真は2005年3月に研究会で訪れた際に撮ったもので、岩面刻画が完全に露出して、下には観察のための足場も確保できた。ダム湖の満水時には、この写真の画面のほぼ半分くらいのところまで水没していて、作品はほとんど見ることのできない状況となる。韓国は、パングデとその周辺の先史岩面画遺跡を2017年までに世界文化遺産に登録しようとしており、様々な活動をしている。一昨年の2011年には、発見40周年の国際シンポジウムがあり、私も招かれたが、世界各国からの研究者も、やはり水没状況を改善しないことには、登録はおぼつかないだろうと述べていた。なお、同じ2011年には、世界文化遺産に予備登録されたとのことである。
 今回の記事では、朴槿恵(Park Geun Hye、パク・クネ)大統領が興味を表明したことで、パングデが国民的関心の対象となり、さらに、3月15日に長年パングデ保存運動に献身してきた邊英燮(Byun Young-sup 、ビョン・ヨンソプ)氏を文化財庁のトップに据えたことで、保存運動が具体的な議論の対象となったのである。保存運動組織は、ダム湖の通年にわたる低水位の維持を求めており、ウルサン市の行政当局は、市民の飲料水の確保のためにはダムが必要だと主張しており、その温度差は著しい。

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 上の写真は、2011年10月の訪問時に撮ったもので、遺跡は完全に水没して、対岸からしか見ることができなかった。現在では、基本的には作品のある岩壁に接近することは禁止されており、100メートルほど離れたところから設置されている望遠鏡で見るしかないのである。世界文化遺産に登録するためには、ダム湖水位の低レベル維持が必須であり、まさに政治判断が必要とされているのである。一時期、遺跡のまわりに堰堤を築いて、ダム湖の水位はそのままに、岩面刻画の制作されている周辺だけ露出させるという案も検討されたが、これは環境への影響が甚だしいということで、私もメンバーであるイコモスも、その「改善策」を否定している。パングデには、世界最古とされるクジラの表現もあり、世界的も貴重な文化遺産と認められるが、それと市民の飲料水の確保という極めて現実的な問題との関係が、新大統領の下、改めて浮かび上がってきたのである。隣国の研究者としても、その動向は注視してゆきたい。なお、下の写真は、透明構造物“キネティック・ダム(Kinetic Dam)つまり、移動可能な透明ダムというもので、堰堤の一案ではあるだろう。

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by rupestrian | 2013-06-11 15:05 | 先史岩面画

ETV特集再放送

 なかなか、このブログに意識が向かず、更新もほとんどできていないが、先日NHKから連絡をいただき、私が出演した番組が再放送されることになったということなので、ここでもお知らせすることにしたい。

番組名 ETV特集なぜ人は絵を描くのか~日比野克彦・サハラ1000キロの旅
      初回放送日:2010年01月24日(日)
      放送日 2013年6月2日(日)NHK教育テレビ 午前0時25分から(土曜深夜)
      「Eテレ・セレクション」内にて再放送(90分番組)

 これは、左のrupestrianの手形と人物像の写真をとった、サハラ砂漠のまっただ中にある先史岩面画遺跡であるフォッギーニをはじめとするギルフ・キビル地域を踏査した記録を番組化したものであり、現地取材は2009年の2月後半に実施し、まず総合テレビのNHK特集として50分の番組がその年の5月に放送され、その90分版が、ETV特集として、2010年1月に放送されたものである。番組それ自体は、NHKの制作スタッフの作品であり、私やメイン・キャストのアーティスト日比野さんなどは、出演者にすぎない、ということは、ここでもお断りしておきたいと思う。あらかじめシナリオのようなものがあり、それに沿って撮影が進められ、制作者の意図に沿わない発言などは、決して番組の中では取り上げられない。
 例えば、下の横位置の人物像は、ギルフ・キビル地域を有名にした「スウィマー」と解釈されてている作品であり、類似の図像が、古代エジプトにも見いだせるという、フランスのLe Quellecという研究者の仮説に従って、サハラの6~7、000年前の文化が、約5,000年前に突如出現した古代エジプト文明の源泉のひとつになり得た、という番組が作り上げられたわけである。詳細は、3年半前にご覧いただいた方はご存じだろうし、まだの方は、深夜ではあるが、是非視聴いただいて、また、このブログのコメント欄にも書き込んでいただくか、下記アドレスまで、メールをいただきたいと願っている。私自身は、元々解釈に対して慎重なタイプの研究者であり、人物像が横位置だというだけで、短絡的に「スウィマー」とは見なしていない。作者のポジション取りで、たまたま横位置になった可能性も捨てきれないし、また、仮に横位置が意図的だったとして、必ずしも泳いでいるとは限らず、伏せって何らかの行為、例えば、礼拝などをしているかもしれず、古代エジプト美術に似たポーズがあるからといって、そこから強引に解釈するのは避けるべきではないか、と考えている。

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 とはいえ、先史岩面画をテレビで取り上げてもらい、しかも、3年半後に再放送していただける、というのは研究者として、とてもありがたいことであり、感謝している次第である。これを機に、若い方々が先史岩面画に関心を持ち、その調査研究に進んでくれれば、これ以上望むことはないだろう。

ganmenga@gmail.com(コメント送付先)
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by rupestrian | 2013-05-29 14:59 | 先史岩面画

会員募集

昨年6月に再開して、断続的に書いてきたが、前回2月に書き込んで以来、2ヶ月間ほど書き込むことができなかった。先史岩面画の研究者として、私個人がその都度に関心を持っていることを話題としてきたが、日常の雑事に紛れることもあり、やはり限界があり、なかなか継続できなかったことを反省している。4月になって、個人研究で研究費を獲得することができ、今後3年間、海外でフィールド・ワークも実施することになるだろう。その活動報告も含めて、このブログの内容としたいが、それだけでは「日本先史岩面画研究会」と銘打っているページとして不十分で、どういう方向性で進めていこうか考えあぐねていたところである。
ところで、旧知のベドナリク先生から連絡があり、スイスを拠点とするインターネット学術誌のゲスト編集者になったので、それに投稿してほしいとのことで、世界各地の先史岩面画を紹介するという趣旨もあるようで、フゴッペと手宮について書くつもりだと返事したのだった。その際、「日本先史岩面画研究会」の共同調査の報告として書きたいとメールしたところ、その団体にIFRAOという組織に加入してほしいとの提案をいただいたのである。以前にも、このブログで書いたことがあるが、IFRAOはInternational Federation of Rock Art Research organizationsの略称であり、「先史岩面画研究組織国際連盟」とでも訳せるだろう。1988年にオーストラリアのダーウィンで開催されたAustralian Rock Art Research Association(AURA)の第1回総会で、まさにベドナリク先生が提案して、結成された世界規模の団体であり、現在まで、世界各国の研究組織が加盟して、精力的に活動している。今年は5月下旬にアメリカ合衆国、ニュー・メキシコ州のアルバカーキで世界大会があり、来年は中国、再来年はスペインでと、毎年、所属する各国の研究団体が受け持って、世界各地に、研究者が参集する仕組みとなっている。
ベドナリク先生によれば、IFRAOに参加するためには、団体の規約というものが存在し、かつ、会員は広く募集しなければならないということで、「日本先史岩面画研究会」はどちらの条件も満たしていない。そもそも「日本先史岩面画研究会」は北海道余市町のフゴッペ洞窟岩面刻画の共同研究を母体とした組織であり、その後、公的な研究費をいただいて、世界各地で現地調査も行っているが、あくまでも限定されたメンバーによるものであり、これまで会員を募ったことは一度もなく、現在まで研究者を中心とする約15名の「会員」がいるだけである。このブログは一応「会長」を名乗っている私自身が、実は個人的に投稿しているブログであり、かつては「会員」の一部からコメントをいただいたこともあるが、「研究会」としての実体を伴っているわけではない。今後も書き込むのは私一人に限定したいが、もう少しオープンな雰囲気を醸し出したいと思っているところである。それで「会長」の独断として、このブログを介して、「日本先史岩面画研究会」の会員を募集したいと思うに至った次第である。実際に「会員」になっていただけるかどうかはまだ、現在の「会員」諸氏のお考えも聞かなければならないので、確定していないが、是非、ご応募いただきたいと願っている。詳しいことは、追って、この場で明らかにしてゆく予定である。

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上の写真はフゴッペ洞窟の「有翼人物像」とも称されており、このような作品について考えることから、「日本先史岩面画研究会」は始まっているのである。ご関心のある向きは下記アドレスにご連絡いただきたい。

ganmenga@gmail.com
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by rupestrian | 2013-04-10 15:05 | 先史岩面画

「海獣」の解釈

 前回「最古」級の意味に関する続編を予告したが、それにとらわれることなく、別の問題を書くことにしたい。最近、ある展覧会で人類学者の鳥居龍蔵が収集した資料を見る機会があったが、その中で、1899年に色丹島で採集したという「チプ」という船の木製の模型に目が釘付けになった。下は、所蔵している国立民族学博物館のホームページからダウンロードしたものである。

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注目すべきは右の横位置の図像で、「シャチ」と解釈され、千島列島北端のシュムシュ島の船にしるすかたちであると説明されている。千島列島北端から南端の島へ船が到来していて、それを見た色丹島の人々が船の模型に残したと理解すればいいのだろうか。

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ここから、すぐに想起したのが、私が共同研究を行った、北海道余市町のフゴッペ洞窟にある、よく似たかたちであり、それは次のようなものである。

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一見同じものを表しているようにも見えるが、色丹島のものは19世紀末で、フゴッペは、私の持論ではあるが、約1,900年前の作品で、制作時期に関し、極めて乖離している。本来なら、比較のしようのない二者ではあるが、つい思い出してしまったので、ここにも書いている次第である。フゴッペの作例に関しては、一般に「海獣」であるとの解釈がなされていて、私としては、横位置の人物像の可能性もあるのではないかと示唆しているところである。色丹島の「シャチ」にはない、下側の突起がフゴッペの「海獣」にはあるので、私は腕の表現であるとも見なしているわけである。先史美術の解釈は極めて困難であり、すべては仮説の範囲を超えないが、可能な限り証拠をそろえてアプローチすべきであるのは、言うまでもないところである。横位置の人物像という解釈については別のところで詳述しているので、ここでは割愛するが、常に確定していない問題なので、解釈に関しては、似たかたちが見いだされるかぎりは、改めて言及するという姿勢は堅持したいと思う。「シャチ」あるいは「海獣」に関し、下に突起物のある作例をご存じの場合は、是非下記アドレスまで、ご教示いただきたいと願っている。もちろん、他の問題でもどんなアドバイスでも歓迎しているので、よろしくお願いしたい。

ganmenga@gmail.com
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by rupestrian | 2013-02-06 17:50 | 先史岩面画

「最古」級の意味

 雑事にかまけて、なかなかこのブログに向かうことができないが、今日の朝刊に載っていたニュースに押されて、ようやく書き始めている次第である。
 エチオピアのコンソ遺跡から175万年前の握斧が発見されたという報道であり、「最古級」という形容で紹介されていた。石器については門外漢であり、下の写真を見ても、皆目、どれが古くて、どれが新しいのか見当も付かないが、左端の上下が175万年前と最も古く、右に行くにしたがって新たしくなり、右端の上下が85万年前とのことである。

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 ここで問題なのは、なぜ「最古」級であることが喧伝されるのかということである。私も古い時代の美術を学ぶ者として、古ければ古いほど価値を感じる方であり、それは人間が制作して、破壊されたり、消滅させられたりせず、長い間生き延びてきたこと自体が、評価に値するという考え方である。美術作品は、永遠ともいわれるが、実際は、保管場所に困るといった現実的な理由のため、また政治的、宗教的に認めがたい作品は破壊するという理由などで、結構短命なものがほとんどで、人生より長く生き延びる作品は、実は例外的である。まれに評価され続けたという積極的理由もあるが、ほとんどは、存在が忘れられて、見逃された後、「再発見」されて、制作年代が推定されて、ようやく評価されるようになるというプロセスを経ているだろう。洞窟壁画も、10,000年以上、その存在がまったく予想さえされず、1879年にスペインのアルタミラで発見され、その20年以上後の1902年に、実際に10,000年以上前に制作されたと認定されて、研究対象になったのにすぎないのである。このブログでも紹介しているとおり、近年では、何十万年も前に作られたとされるものも紹介されているが、私はそれらを、偏狭なようだが、美術とは認めておらず、まさに洞窟壁画が最古の美術であるからこそ、起源論的アプローチにより、研究してきているのである。
 世界各地で何かが発見された時、その最初の報告者である地元の研究者は、より古い年代を発表することが多い。やはり、自分の報告しているものは、より古いことでより価値があり、また、このような古いものが発見される地域(国)に、現在自分たちが住んでいることを誇りに思うこともあるだろう。その気持ちもわからないではないが、国際的に客観的な検証を経て、より新しい年代に落ち着くことがほとんどのようである。なぜ、このような傾向があるのかを考えると、やはり、文化は世界のある場所で「発生」して、それが周囲に拡散していったのだという「伝繙論」の影響があるのではないかと推察される。文化は水と同じく、高きから低きに流れるという思い込みにより、「最古」のものが発見されているこここそが、まさにかつての世界の中心だったといえると思うのではないだろうか。反対概念である「系統発生論」は、世界中のいろいろなところで似たようなものがそれぞれ独立して発生するという考え方で、どちらが正しいかどうかは、まだ結論の出ていない問題であるようにも思われる。
 アフリカがホモ・サピエンスをはじめとする、あらゆる人類の発生の地であるというストーリーが定着していて、今回のコンソでの発見もそれをさらに強化することになるだろうが、それも、断片的なデータにもとづく仮説の蓄積の結果であることは、認識しておいた方がよいだろう。まだまだ何もほとんどわかっていないことを自ら認めることが重要であり、にもかかわらず、「最古」を求める意味については、次回ブログで書きたい、と珍しく予告しておきたい。
 
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by rupestrian | 2013-01-29 17:28 | 先史岩面画

ショーヴェ洞窟壁画の年代(続き)

 年末年始を挟んで、同じ話題を継続することにしたい。しばらく、このブログにアクセスしていなかったので、かなり旧聞に属するが、前回紹介した論文を精読したので、改めて批判的に紹介することにしたい。
 論文の冒頭から4分の3程度は、ショーヴェの洞窟壁画が、従来の様式論的な比較研究から、約32,000年前という極めて古い年代ではなく、もう少し新しい制作年代とされているいくつかの洞窟の作品と同時代ではないかと述べている。これらは、筆者たちの新たな現地調査に基づくデータの紹介ではなく、新旧の様々な研究を総合したものであり、それなりに納得できるものではある。しかし、ショーヴェのAMS法による年代が発表された後では、様式論的な方法意識も見直されているところもあり、少しアナクロ的な印象も否めない。筆者の一人のJean COMBIERは1926年生まれの重鎮であり、新たな年代に踊らされている議論を苦々しく思ってか、アンシャン・レジーム的なものを呼び戻そうとしているようにも思われる。もちろん、100年以上の研究史の蓄積の上に成り立っているパラダイムであり、重厚な論考を軽々しく否定できるものでもない。とはいえ、ショーヴェの多様性に満ちた作例すべてを射程に入れているようでもなく、なぜ、この時期になって、このようなまとめを発表するのかということには、首をひねらざるを得ない。
 一方、論文の最後に展開されている年代論は挑戦的である。ショーヴェの年代はすべてパリ近郊の研究所で測定されており、それだけを根拠に、すべての議論は展開され、私も、疑ってこなかったのは迂闊だったといえるだろう。本来、もう一つ別の研究機関でも測定して、それが同じ結果を示してようやく確定した年代に基づいて、論考が可能になるはずであっただろう。この論文では、パリ近郊の研究所が1996年に測定した、スペイン北部のペーニャ・デ・カンダモ洞窟の32,310BPという年代に対し、アメリカの研究機関が2001年に15,160BPというデータを出した、ということを紹介して、パリ近郊の研究所の信頼性に大きな疑問を呈している。1990年前後のAMS法の確立以降、洞窟壁画の絶対年代は多くがこの研究所で測定されており、その扱う資料が汚染されているのではないかと疑うことも、大いなるタブーへの挑戦であるといわざるを得ない。そして、ショーヴェの再測定の提言をして、この論文は終わっているが、実際それが試みられるかどうかは疑問である。この論文が、フランス語ではなく、英訳され、ドイツの学術雑誌に掲載されたということも、何やら示唆的だろう。学術研究というものも、ある種の政治性を帯びざるをえないところがあり、それも見据えて、理論を構築してゆくことが必要なのだろう。
 なお、下には、参考までにペーニャ・デ・カンダモ洞窟の作品を掲載する。

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by rupestrian | 2013-01-08 12:47 | 先史岩面画

ショーヴェ洞窟壁画の年代

 先史美術の研究仲間である、イギリスのPaul G. BAHNからメールがあり、驚くべき論文が添付されていた。ドイツの先史時代に関する学術雑誌Quartärの最新号に掲載された

Chauvet cave’s art is not Aurignacian: a new examination of the archaeological evidence and dating procedures

というもので、まさに約32,000年前の制作とされているフランス南部のショーヴェ洞窟壁画がそこまで古いものではなく、いくつかの時代に分けて制作されたのではないかという主張をしているようである。なかには20,000年前より新しいとされている、有名なラスコーと同時期のものもあるのではないかとのことである。まだ全文を精読しておらず、その根拠をここで紹介することはできないが、私も、ショーヴェが人類最古の美術であるということを前提にして、近年の議論を展開しているので、ショックを否定することはできない。筆者はJean COMBIERとGuy JOUVEというフランス人研究者で、フランス語の論文を英訳したのが上記BAHNで、美術の起源論的議論を行っている研究者に全文を送ってくれたようである。最初のページだけは下記アドレスで見ることができるが、全文が必要という方は、末尾のメールアドレスまでご連絡いただければ、添付でお送りすることにしたい。

http://www.quartaer.eu/pdfs/2012/2011_combier_abstr.pdf

 下の写真は論文にも引用されている「相対する2頭のサイ」の部分で、この作品から32,000年前というデータがAMS法により得られたのである。

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 元々発見された直後には、12,000年前の制作ではないかという意見もあったわけであり、その後AMS法による驚くべき年代が出され、それに対しても、しばらくは疑義の念も表明されていたが、10年以上経過して、年代が確定したものとして様々な議論が展開されるようになった矢先の、揺り戻しであり、私としても戸惑うしかないところである。しかし、先史美術研究のような分野では、知見は日進月歩であり、新たな発見があれば、これまでの教科書も書き換えられなければならないのである。美術史を専門とする者としては、科学的な年代測定法は門外漢であり、結果だけを甘受するしかないのが残念なところである。まあ、しかし、嘆いていても仕方ないので、この論文を精読して、より思考を鍛えてゆきたいと考えている。

日本先史岩面画研究会 ganmenga@gmail.com
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by rupestrian | 2012-12-20 17:42 | 先史岩面画