世界各地の先史岩面画に関心を抱く皆さんとの情報交換を行う場です。
by rupestrian
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カテゴリ:先史岩面画( 66 )

芸術の起源を求めて

 先日、近隣の高校で地理と歴史を担当されている先生方の会で講演する機会をいただいた。毎年この時期に研究会を開催されているとのことだが、今年の担当者が、数年前に私が出演したNHKの番組を見ていただいていて、お声をかけていただいたことから、約50名の前で、90分の話をすることになったのである。サハラ砂漠の番組で関心を持っていただいたということなので、導入ということで、フォッギーニ遺跡(下の写真)に行ったことからはじめ、先史岩面画はそれが制作されたまさにその場所に研究者が赴いて、作品の前で芸術について考え抜くことに意味があるのではないかという思いを述べた。
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その後、世界各地に先史岩面画があることを紹介して、その一例として、日本にある北海道のフゴッペ洞窟を少しだけ紹介した。ここまでで、結構時間をとってしまい、本題の『芸術の起源を求めて』に関しては、十分な時間がとれなかったことを反省しなければならない。
 ラスコーのいくつかの作品をじっくりと見て、アルタミラも少し紹介した後、Science6月15日号に発表されたウラン系列年代測定法への疑問などを語ったところで、時間切れとなり、適当にまとめて終えることになった。まあ、抽象的な議論を展開しないですんだのは、かえってよかったのではないかとも、自ら正当化するしかないだろう。しかし、二つの適切なご質問をいただいて、うまく補うことができたのには感謝しているところである。ひとつは「写実性」の問題で、時間中に見せられなかったスライドも使って、議論することができた。すなわち、「写実」は古代ギリシャ・ローマとルネサンス以降のヨーロッパおよびその影響を受けている近代の世界においてのみ追求されている課題であり、現在の日本でも常識と見なされているかもしれないが、極めて特殊な傾向であると認識しなければならない。その上で、洞窟壁画の「写実性」は異なった原理に基づいて実現されており、それを私は「統合」と読んでいるというような話をすることができた。それを受けて「統合」を重視するなら、「見立て」は現在では子供の方が得意なので、洞窟壁画も子供たちが制作したのではないかとという刺激的な質問をいただいた。「見立て」能力は、私の考えでは、現在でも「大人」にも失われておらず、発揮しようとしていないだけで、洞窟壁画が社会の全メンバーの参画する大きな事業であったと認識している私としては、やはり、子供たちではなく、成熟した人々が中心的な役割を果たしたのではないかと、まとめることができた。
 以上、いつものパターンで、準備していたものすべてを語れず、といって、時間オーバーするのは最も避けるべきなので、いつも中途半端に終わることを反省しなければならないが、今回は質問者のフォローのおかげで、うまく終えることができ感謝している次第である。 
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by rupestrian | 2012-08-27 15:34 | 先史岩面画

映画『プロメテウス』

 先行上映された『プロメテウス』を見た。映画そのものに関しては、他のところでも多くの方が言及されているだろうから、ここで特にコメントすることはないが、私自身、テレビのCMで洞窟壁画らしきものが一瞬映ったから見に行ったまでのことであり、宣伝につられて、大枚はたいて、時間も割いて鑑賞した方々は、大いに不満に思われた方が多かったのではないかと、推察する。しかし、商業ベースの芸術表現にいかに多くの聴衆を動員するかも、ある意味では作品の一部であり、うまくやられたというのが偽らざるところだろう。
 私としては、先史岩面画の研究者として、このようなメジャーな映画に洞窟壁画らしきものが取り上げられたこと自体は評価しており、それを見ることができたことは喜ばしいことだったと肯定的に考えている。映画のかなり早い段階で、一瞬出てくる洞窟壁画らしきものは、しかし、発見場面から判断して、あまり洞窟の奥深くにあったようではなく、少し首をかしげるところだった。また2080年代のことのようだが、アイルランドという、これまで洞窟壁画が発見されていないところで見つかったというのも、一興ではある。作品それ自体を見ても、監督のリドリー・スコットや、実際に制作したのであろう美術スタッフも、あまり洞窟壁画に造詣が深いとは思えず、極めて中途半端な扱いだったのは残念なところである。対照的なのが、1996年制作の映画『イングリッシュ・ペイシェント』で、ここでは先史岩面画それ自体が、映画のなかでも重要な位置づけにあり、その作品も新たに作られたものだったが、クオリティが高く、先史岩面画の魅力を伝えているようだった。それに比べると、今回は登場場面もほぼ1秒くらいで、こんなものかもしれないが、専門の研究者としては、もう少し焦点を当ててほしかった気はしている。
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 作品は少し見にくいが、一応凹凸のある岩面がしつらえられていて、画面の右側に約32,000年前とされている、フランス・ショーヴェ洞窟の「3頭のウマの頭部」のいただけないコピーがあり、どういう年代測定方法かわからなかったが、約35,000年前と映画では設定されていたので、それらしい感じを出したかったのかもしれない。中央部には数個の星らしきものを指さす大きな人物像と、その周囲にそれを讃えるかのような人物像の集合があり、もっともらしい雰囲気は醸し出しているかもしれない。この図柄は、古代エジプトなど世界各地の様々な時代の遺跡にも見いだせるという設定なので、そんなものが元々存在しない以上、映画スタッフのオリジナルと見なせるが、私の乏しい経験から判断すると、ブラジル北東部のカピヴァラ山地の作品と雰囲気が似ているので、担当者は色々と調べて、でっち上げたのだろう。以上、クオリティも低く、扱いもひどかったが、テレビCMに使われ、映画にも出てきたので、これは何かと疑問に思って、洞窟壁画に関心を持つ人が少しでも増えてくれれば、ありがたいことだろう。
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by rupestrian | 2012-08-20 14:11 | 先史岩面画

『洞窟のなかの心』

 このたび、8月1日に刊行されたばかりの『洞窟のなかの心』(講談社)をようやく入手することができた。近年旺盛に活動している多摩美術大学芸術人類学研究所により翻訳が予告されていたものであり、どうなったのかと思っていたが、ついに日の目を見たようである。著者はデビッド・ルウィス=ウィリアムズで、以前にこのページでも言及した「シャーマニズム説」の提唱者で、最近の『Conceiving God』(Thames & Hudson)など、人気絶頂の研究者である。内容は、先に批判したとおり、意識のなかに実在するイメージの「具象的」な表現という、素朴な芸術観から出発して、その原理を様々な分野の都合のよい主張だけをつまみ食いして突き詰めてゆくというトンデモナイものであり、逆にこのようなエンターテインメント的なものでもないかぎり、日本語では洞窟壁画の本が出版されないという現実を突きつけられているのかもしれない。
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 翻訳は港千尋のクレジットになっており、以前に予告されていた訳者だけでは完成されなかったのか、あるいは著名な著者を表にする出版事情なのか、「訳者解説」でいわれているほどには訳文が統一されていないようで、出版物としてもう少し熟成させてもよかったのではなかったのではないかという感想を持った。おそらく同時に出版されて、装丁にも統一感のある中沢新一『野生の科学』(講談社)との密接な関係もあったのではないかと邪推できそうである。訳文は今後検討できればとも思うが、このページが主張している「岩面画」を例によって「岩絵」と訳しているなど、どうしても否定的な受け止め方をせざるを得ないのである。
 ここまで極めて批判的に紹介してきたが、洞窟壁画を主題とする本が日本語に翻訳されたことの意義は大きいともいえ、それがやはり洞窟壁画に関する最も新しい、といっても10年以上前のことだが、日本語の本『洞窟へ』(せりか書房)を著した港千尋の訳者名で出版されたのは当然のことなのだろう。ここに、わが国における洞窟壁画紹介のメインストリームがあり、こういうページでしか自己表現できていない「日本先史岩面画研究会」というマイナーなところから自嘲的に何を言ってもどこにも届かないのだろう。もちろん、我々は堅実に洞窟壁画研究を継続しているという自負があり、海外の学会でも研究発表を行ったり、現地調査を積み重ねたりしているが、それが日本語の環境のなかに、ほとんど影響を及ぼしていないことも、冷静に認めなければならない。もっと翻訳すべき業績は、洞窟壁画研究のなかにも多くあるのであり、選りに選って、世界的にも学術の世界を逸脱して人気を博しているルウィス=ウィリアムズなのかという幻滅はあるが、これが現実の文化というものであり、それを少しでもよりよきものにするために、ささやかであろうとも、研究者として力を尽くしてゆきたい、と思うきっかけにはなった読書ではある。
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by rupestrian | 2012-08-16 15:53 | 先史岩面画

トーテミズム説

 人間と動物の関係を探ることが、洞窟壁画の解釈にもつながるのではないか、という予想のもと、いろいろな学説を検討していますが、先に紹介しました「シャーマニズム説」の他にも、「トーテミズム説」が気になるところです。これは、洞窟壁画研究の初期から提唱されていて、しかし、北アメリカ大陸西海岸、ブリティッシュ・コロンビアにおいて、現在でも制作されている「トーテム・ポール」に表されている考え方が、何万年も前の芸術のも適用されるべきではない、という、ある意味ではまっとうな批判もあり、ほとんど顧みられていない仮説であるといえるでしょう。とはいえ、私は、人間と動物の関係を考えるための基本的な枠組みを示しているアプローチであるとも評価しており、その理由を下記に書くことにします。
 「トーテミズム」とは、私は、「祖先動物崇拝主義」と訳していて、自分がか弱い人間ではなく、ワシやピューマなどの強い動物の子孫であり、今はたまたま人間の姿になってしまっただけだ、という考え方であると解釈しています。これは、20世紀初頭に洞窟壁画研究が始まった時点での、トーテミズム論であり、その後、レヴィ=ストロースの「今日のトーテミズム」などの著作もあり、現在ではより精緻な検討がされていると思いますが、それについては、また別の機会に検討したいと思います。要は、洞窟壁画に描かれているのは、作者たちが祖先として崇拝する動物の姿であり、それを表現することで、自分たちのアイデンティティを確立したのではないかと解釈するのです。この説によれば、動物像は、実在するものでもなく、「シャーマニズム説」がいうところの意識に現れるものの描写でもなく、人々の祖先である、今や存在しない動物の理想像であり、プラトン以来の伝統的な「イデア論」芸術観からは、理解しやすいかもしれません。
 「トーテミズム」の対概念は「ヒューマニズム(人間中心主義)」であり、ヨーロッパのキリスト教的心性からは、動物を崇拝する「異教徒」的な産物として、洞窟壁画を見なす考え方だったのだろうと思います。しかし、たとえば私が生まれ育った極東(非ヨーロッパ)などでは、人間と動物はそれほど隔たった存在ではなく、ある種の親和性から豊かな世界が広がってゆくのではないかと思います。洞窟壁画も、もちろん自然の中で、どう猛な動物たちに囲まれて、何とか生き延びていた人々が、その知恵のあり方の中で、実現したものであり、もちろん、トーテミズム説がそのまま当てはめられるわけではありませんが、今後とも、人間と動物の関係を突き詰めてゆきたいとかが得ています。
 なお、次の写真は「トーテム・ポール」の例ですが、その意味などについては次の機会に書いてみたいと思います。
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by rupestrian | 2012-08-07 14:43 | 先史岩面画

動物に変身した人間の自画像!?

 4月から毎週、洞窟壁画を論じる機会があり、今週、15回で最終回を迎えました。洞窟壁画の制作動機を考えることになりましたが、もちろん、数万年前の芸術作品に関し、作者たちがどのような生活をしていたかもわかっていない状況では、何を考えればいいのかもはっきりしないのが正直なところです。しかし、答えが出ないにしても、問題を設定して考え抜くことで、対象である洞窟壁画の本質に迫れるのではないかと期待して、日々悩んでいる次第です。様々なことを考慮しなければなりませんが、その一つに、人間と動物の関係をどう捉えるか、という課題が未解決のまま残されているのです。洞窟壁画には、一目見て何を表しているかわからない「記号」も多く表現されていますが、最も目を引くのは、写実的な動物像であり、私自身も、なぜ洞窟壁画を制作した作者たちが、本物と見まがうビソン(野牛)などを描ききることができたのかを、長年追求しているところです。それはいずれこの場でも詳しく紹介したい「統合」という観点から明らかにしようとしていますが、まずは人間にとって動物とはどのような存在なのかを、射程に入れなければなりません。
 最近、研究者の間で話題になっているのが「シャーマニズム説」で、これは南アフリカの作例からデヴィッド・ルウィス=ウィリアムスが提唱したもので、洞窟壁画にも適用可能ではないかと議論を呼んでいるわけです。
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上の作品は、上半身が動物で、下半身が人間のように見えますが、これをそのままリアルなイメージであると素朴な美術観で考えると、実際にこのような存在がいて、それを見たまま表現したものだという解釈に至るしかないでしょう。「シャーマニズム説」では、これを動物に変身しているシャーマンの途中の姿をそのまま描写した「自画像」であると説明するのです。「シャーマン」は、他の人から見れば、ただの人間のままですが、その意識においては、動物に変身することで、人間を超越した力を獲得できるのであり、完全な動物像であっても、それは、実際の動物を描写しているのではなく、動物に変身しきったシャーマン自身の、その意識における自画像であると解釈するのです。洞窟壁画など、先史岩面画に描かれている動物像は、現実に存在する動物を描出しているわけではなく、シャーマンの意識における自分自身の姿を表現したものだという結論に至るのです。
 この驚くべき考え方は、美術というものは、現実にせよ、意識内にせよ、「実際に」存在するものを、「見えた」まま表現したものである、という単純な前提から出発しており、それだけで美術の実相から離れている、とんでもない理論であるといわざるを得ません。美術は、目に見えないものを目に見えるようにする技術でもあるのであり、上の半人半獣像(「ハイブリッド像」とも呼びます)も、現実に存在しないのはもちろんのこと、作者の意識にあらかじめ「変身中」の姿としてある必要もなく、あくまでも作品として初めて存在したものであると考えないといけないのではないかと、芸術学を標榜する研究者として、主張したいところです。こういう考え方に関しては、また近々書き込みたいと思っています。
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by rupestrian | 2012-07-28 17:36 | 先史岩面画

洞窟壁画の地形図

 前回、「統合」ということばを用いましたが、この場でも、少しずつ、この概念について、できるだけわかりやすく説明できればと願っています。ショーヴェの映画でもよく映っていましたが、洞窟壁画をはじめとする先史岩面画は、不規則な形状の場所に制作されているのが重要な側面です。二次元である写真などでは、どうしても平面的に見て、普通の絵画のようにも思われるかもしれませんが、実際は凹凸が激しく、亀裂も縦横に走っているところに線が刻まれたり、色が施されて、かたちが作り出されているのです。この状態をことばや平面図で伝えるのは難しいのですが、自然の大地の表面を思い浮かべていただいたら、わかりやすいかもしれません。自然の地形には、純粋に平面といえる場所は全くなく、それぞれが他のところとは違う、個性的な表情を持っているのです。氷が張っていたり、雪が積もっているなど、特殊な場合は別にして、純粋な二次元平面とは、人間が作り出した人工的な場であり、それが建物の壁や天井、床になったり、絵画を制作するための場所になったりしているだけなのです。
 等高線による地形図というものがありますが、それは、三次元の自然の大地を平面に表すための工夫であり、見慣れれば、どこにどれくらいの高さの山があったり、どれくらいの深さの窪地があったりするのかもわかってくるでしょう。先史岩面画が制作されている場所も、まさに大地と同じ、自然が作り上げた表面であり、等高線による地形図を作成することができます。
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上図は、フランス南西部のペシュ=メルル洞窟の有名な「斑点のある2頭のウマ」という作品のある岩面の地形図で、この洞窟の責任者として調査されているミシェル・ロルブランシェ先生の本に掲載されているのをお借りしたものです。私自身は約20年前にこの図を直接見せていただいて、それもきっかけになって「統合」という造形現象を追求したわけですが、2010年に刊行された本にようやく印刷されたので、ここでも紹介できる次第です。2頭のウマの他にも、多くのかたちが見いだせ、それぞれの輪郭線が記録されていますが、それ以外の細い線は等高線であり、この場所が決して純粋な平面でないことがわかると思います。見慣れてくると、2頭のウマの胴体部分に、現在の我々には関知できないほどのささやかなボリュームのあることがわかり、それがこのウマをこの場所に描かざるをえなかった理由になっているといえるでしょう。2頭のウマはおしりの部分で奇妙な重なり方をしていますが、従来は偶然であるとしか考えるしかなかったこの表現の、存在理由が説明できるようになったのではないかと思います。これも、この地形図が作成されたからであり、私もできれば、すべての洞窟壁画でチャレンジしたいと思っています。しかし、現実には、高価な機器であり、また洞窟内部に持ち込む許可を得ることは難しく、残念ですが、仕方ありません。それに代わる方法も工夫して、私自身は記録調査していますが、これについては、次の機会に紹介したいと思います。
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by rupestrian | 2012-07-19 15:10 | 先史岩面画

ショーヴェの映画

 このほどショーヴェの洞窟壁画に関する映画のブルーレイを入手でき、早速見てみました。映画それ自体は今春に公開された時に、映画館にはせ参じて、3Dで見ることができましたが、それがこれだけ早く手元に置けるようになるとは思っておらず、大いなる喜びです。ブルーレイには3Dと普通の2Dが同梱されており、私の持っている装置では、3Dは見られませんが、それでも十分な映画鑑賞となるでしょう。アメリカで発売されたものの輸入版で、私は日本のアマゾンで購入しました。英語版ですが、英語とスペイン語の字幕が出ますので、まあ、内容は把握できるでしょう。ちなみに劇場公開の日本語版では、有名俳優のオダギリジョーさんがナレーションの吹き替えを担当されていたので、そのうち、これも発売されるかもしれません。なお、DVDの場合、アメリカで発売された製品は日本の機器では見られませんが、ブルーレイの場合は、大丈夫でした。
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 映画の内容ですが、Werner Herzogという高名なドキュメンタリー映画作家が、ショーヴェでの撮影許可を得て、洞内に入って、実際に作品を見学したということそれ自体が記録されているという設定で、映像作品としてはきわめて優れているという感想を、私は持ちました。何より、いろいろな手続きを経て、実際に洞窟内部に侵入し、そして限られた時間内で、比類なき洞窟壁画を見て、そして、惜しみつつ、洞窟を出るという、実際の経験がそのまま記録されていることに感銘を受けました。洞内では床面を保護するため、設置された足場に限定されていて、カメラも照明もそこからしか使えず、灯りの揺らめいている様子などが、私自身の経験からしても、きわめてリアルな感じを醸し出しているのでした。芸術作品である洞窟壁画を、フラットな照明で映した、作品集的な趣はありませんが、暗闇で制作されて、そのままの場所に残されている洞窟壁画の、ある意味での実態がそのまま記録されているともいえ、この従来にはない作家の感覚に脱帽した次第です。洞窟壁画に関するこれまでの動画では、作品がニュートラルな照明で、正面から撮られていて、きわめて平面的な印象を与えます。その前後に周囲の状況も映る場合がありますが、ほんの付け足し程度で、実際どのような場所に洞窟壁画が制作されているのかはわかりにくいのがほとんどでした。ハーツォグの場合、足場と撮影時間の制限からの苦肉の策かもしれませんが、正面から撮られることはなく、かえって、洞窟内部の岩面の不規則な形状が如実に記録されていて、「統合」という観点から洞窟壁画を論じている私には、きわめて有用な動画であるといえます。「統合」に関しては、また別の項目で詳しく紹介することになるでしょう。洞内の全作品が網羅されているわけでもなく、同じ作品が繰り返し映るのも、実際の洞窟壁画見学のありように沿っていて、まあ、違うのも見せてくれという気持ちもありますが、リアルな感じです。研究者として実際に洞窟内部に何度も入っているからいえるだけかもしれませんが、まだ、実際に経験されていない皆さんにも、まずは疑似体験としてお薦めできるのではないでしょうか。
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by rupestrian | 2012-07-11 13:34 | 先史岩面画

Seeing-in

 先日、イギリスから届いたメールをようやくじっくりと読んで、自分の文章が、York大学のDr. Derek Hodgsonという研究者の論文に言及されていることを知りました。ロンドンで発行されている「Time and Mind: The Journal of Archaeology, Consciousness and Culture」という学術雑誌に掲載された「Emanations of the Mind: Upper Paleolithic Art as a Visual Phenomenon」という文章で、とりあえずは「こころの放射:視覚現象としての後期旧石器時代美術」と訳せるでしょう。要約は下記リンクをご覧ください。
http://www.ingentaconnect.com/content/berg/tmdj/2012/00000005/00000002/art00004
 ホジソン博士は認知考古学を標榜されていて、私自身とは方法意識は少し異なりますが、自然の岩面の形状が人間が制作するかたちに一致しているという造形現象には同様の関心を抱いておられるようで、まだ面識はありませんが、何度かメールをいただいている、研究仲間といっていいのかもしれません。参照されているのは、私が一昨年にフランスで開催された国際学会で発表した原稿で、ショーヴェで発見された洞窟壁画の多様性を説明しようとした試みです。詳細は改めて別の機会に紹介したいと思いますが、やはり、英語で書くと、世界の研究者に読んでもらえるので、大変ですが、これからもチャレンジしたいと思いました。
 今回の論文では、こころの「放射」ということで、言い得て妙な表現を教えていただいた気がします。放射される「こころ」がいかなるものかが問題ではありますが。それと、私の文章が参照されているのが「Seeing-in」という項目で、これはまさに「見立て」と訳すべき造語ではないかと思います。私の理論におけるキーワードのひとつが「見立て」ですが、この日本語をヨーロッパ系の言語でどう表現すべきかは悩ましいところで、今回の「Seeing-in」は一つの解答といえるかもしれません。英語の前置詞の微妙なニュアンスを理解することは難しいですが、私自身も、今後は使わせてほしいと思った次第です。
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by rupestrian | 2012-07-05 13:55 | 先史岩面画

改めて「日本先史岩面画研究会」について

 エル・カスティージョの「最古」の年代という話題で、このブログを再開しましたが、このニュースは残念ながら、日本では大きな話題にはならず、半月ほどが過ぎてしまいました。このブログ全体ののタイトルにもなっている「日本先史岩面画研究会」は、我が国ではまだまだマイナーな研究分野にとどまっている「先史岩面画」というものを、より大きな関心の対象にしてもらうためにも活動している、実在の研究組織であり、今回は、その紹介を改めて書いてみたいと思います。
 日本には、これまでのところ、本格的な先史岩面画遺跡は、北海道の手宮洞窟(小樽市)とフゴッペ洞窟(余市町)しか発見されておらず、その存在も、全国的には広く知られているとは言いがたいところです。この研究会は、特に後者のフゴッペ洞窟で1950年に発見された「岩面刻画」を共同で調べるプロセスの中で1990年代に発足し、既に10年以上継続しています。下の写真は、2004年に完成した、新しい保護屋で、この中の深さ数メートルのフゴッペ洞窟の岩面に、約1,900年前に刻画が制作されたと、まだまだ年代には異論はありますが、私は考えています。
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研究会それ自体は、柔軟な組織を目指しており、はっきりした会則も、会費などもなく、このブログに参加していただければ、その時点で「会員」であるといってもいいほどです。具体的には、共同研究に参加した研究者を核に、その後知り合いなどにも参加していただいて、10名程度のメンバーが、まずは自費で朝鮮半島などに調査に行ったりして、その後、「科研」という公的な経費もいただいて、中国やヨーロッパでも現地調査をすることができました。その詳細は、追って、この場で書いてゆきたいと思っております。
 先史岩面画とは、改めて定義しますと、自然の凹凸や亀裂に満ちた岩面に手を加えて平面にならすことなく色彩を施したり、線条を刻んだりして、かたちを作り上げた美術作品です。世界中に分布しており、年代も、今回のスペインの洞窟壁画の年代が正しいとして、40,000年以上前から、つい最近まで制作され続けてきた造形現象です。有名作品としては、フランスのラスコー洞窟やスペインのアルタミラ洞窟があり、私も主たる研究対象としております。しかし、世界各地に様々な制作年代の作品が発見されていて、私も機会が与えられれば、すぐに飛んでいって、できるだけ実際の作品を、まさにそれが制作された場所で見ることを心がけております。「岩面画」は英語では「RockArt」ですが、研究の始まったスペインなどのラテン語圏では、「arte rupestre」(フランス語)と呼ばれており、英語でも、「rupstrian」は「岩面画に関心を持つ人」という意味があり、このブログのアドレスにも用いています。
 具体的な事例は次回以降に書きますが、現在では、乾燥地帯など、あまり人間が住んでいない地域で発見されていることが多く、作品のあるところまで赴くだけでも一仕事であり、その困難な行程の末に、誰とも作者がわからないまま、人知れず、自然に包まれて残ってきた形に直面するだけでも、その感慨は計り知れません。日本でも、多くの皆さんにこの知られざる芸術に親しんでいただきたいと願って、研究会活動も行っているところです。
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by rupestrian | 2012-06-28 15:16 | 先史岩面画

「最古」論争

 ブログを再開して1週間たちましたが、まだ習慣化していないので、更新が滞ってしまいます。日本では、オウム関係など、大きなニュースがあり、40,800年というデータが出たことはほとんど報道されなかったのが残念ですが、もちろん、世界的にはScienceの表紙を飾った論文ですから反響も大きく、様々な問題が提起されています。そのすべてをフォローしているわけではありませんが、まずは「最古」という形容に関する論争を紹介したいと思います。今回「最古」という言葉が印象的に用いられたわけですが、もっと古い芸術が多くあるという議論が展開されたわけです。年代の問題は、今回のウラン系列による測定法に対する信頼性など、きわめて微妙であり、論者によって様々に扱われていますが、いずれにせよ、きわめて古い時代の人間の造形活動に関心のある研究者たちは、私もその最たる者ですが、「最古」すなわち「最初」の芸術という表現に敏感に反応するわけです。
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これは約7万年前の考古学的層から出土した赤土の塊であり、その表面に平行線や斜線が何本も刻まれています。南アフリカの海岸部に近いボロンボス遺跡の遺物ですが、この場合、年代にはそれほど疑念はないでしょう。制作者もホモ・サピエンスということで大丈夫でしょう。ネアンデルタール人の話は、またの機会に詳しく書くつもりです。
 問題はこれが芸術かどうかということであり、私自身は、人間の手の自働的な反復運動の産物とみなし、芸術であるとは考えておりません。芸術が、ブロンボスのような非具象的なかたちから始まるのか、それとも洞窟壁画の迫真的な動物像など具象から生まれたのかは、それぞれの研究者の芸術観にも関わる、決着のつかない問題かもしれませんが、私自身はリアルな動物像がどういう原理で制作されているのかを、従来から中心的な課題としており、ブロンボスの直線は、質的にも異質な事例と位置づけています。今回のデータでは、41400±570の赤い円盤が「非具象」、37,630±340の手形が「実物の転写」ということで、「最古」の具象的動物像としては、エル・カスティージョの黒色による動物像輪郭線の断片が22,800±270ということで、私の研究者としての「常識」の範疇にとどまっていて、まだ安心できる気がします。
 「最古」の芸術とは何か、これはまさに芸術の定義の問題でもあり、簡単には答えが出ませんが、今回のScienceの論文が、こういう根本的なテーマを照らし出してくれただけでも、意義深かったといえるのかもしれません。以上、腰砕けな結論ですが、これからもできるだけ頻繁に書き込んでゆくということで、お赦しください。
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by rupestrian | 2012-06-21 16:51 | 先史岩面画