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会員募集
昨年6月に再開して、断続的に書いてきたが、前回2月に書き込んで以来、2ヶ月間ほど書き込むことができなかった。先史岩面画の研究者として、私個人がその都度に関心を持っていることを話題としてきたが、日常の雑事に紛れることもあり、やはり限界があり、なかなか継続できなかったことを反省している。4月になって、個人研究で研究費を獲得することができ、今後3年間、海外でフィールド・ワークも実施することになるだろう。その活動報告も含めて、このブログの内容としたいが、それだけでは「日本先史岩面画研究会」と銘打っているページとして不十分で、どういう方向性で進めていこうか考えあぐねていたところである。
ところで、旧知のベドナリク先生から連絡があり、スイスを拠点とするインターネット学術誌のゲスト編集者になったので、それに投稿してほしいとのことで、世界各地の先史岩面画を紹介するという趣旨もあるようで、フゴッペと手宮について書くつもりだと返事したのだった。その際、「日本先史岩面画研究会」の共同調査の報告として書きたいとメールしたところ、その団体にIFRAOという組織に加入してほしいとの提案をいただいたのである。以前にも、このブログで書いたことがあるが、IFRAOはInternational Federation of Rock Art Research organizationsの略称であり、「先史岩面画研究組織国際連盟」とでも訳せるだろう。1988年にオーストラリアのダーウィンで開催されたAustralian Rock Art Research Association(AURA)の第1回総会で、まさにベドナリク先生が提案して、結成された世界規模の団体であり、現在まで、世界各国の研究組織が加盟して、精力的に活動している。今年は5月下旬にアメリカ合衆国、ニュー・メキシコ州のアルバカーキで世界大会があり、来年は中国、再来年はスペインでと、毎年、所属する各国の研究団体が受け持って、世界各地に、研究者が参集する仕組みとなっている。 ベドナリク先生によれば、IFRAOに参加するためには、団体の規約というものが存在し、かつ、会員は広く募集しなければならないということで、「日本先史岩面画研究会」はどちらの条件も満たしていない。そもそも「日本先史岩面画研究会」は北海道余市町のフゴッペ洞窟岩面刻画の共同研究を母体とした組織であり、その後、公的な研究費をいただいて、世界各地で現地調査も行っているが、あくまでも限定されたメンバーによるものであり、これまで会員を募ったことは一度もなく、現在まで研究者を中心とする約15名の「会員」がいるだけである。このブログは一応「会長」を名乗っている私自身が、実は個人的に投稿しているブログであり、かつては「会員」の一部からコメントをいただいたこともあるが、「研究会」としての実体を伴っているわけではない。今後も書き込むのは私一人に限定したいが、もう少しオープンな雰囲気を醸し出したいと思っているところである。それで「会長」の独断として、このブログを介して、「日本先史岩面画研究会」の会員を募集したいと思うに至った次第である。実際に「会員」になっていただけるかどうかはまだ、現在の「会員」諸氏のお考えも聞かなければならないので、確定していないが、是非、ご応募いただきたいと願っている。詳しいことは、追って、この場で明らかにしてゆく予定である。 上の写真はフゴッペ洞窟の「有翼人物像」とも称されており、このような作品について考えることから、「日本先史岩面画研究会」は始まっているのである。ご関心のある向きは下記アドレスにご連絡いただきたい。 ganmenga@gmail.com #
by rupestrian
| 2013-04-10 15:05
| 先史岩面画
「海獣」の解釈
前回「最古」級の意味に関する続編を予告したが、それにとらわれることなく、別の問題を書くことにしたい。最近、ある展覧会で人類学者の鳥居龍蔵が収集した資料を見る機会があったが、その中で、1899年に色丹島で採集したという「チプ」という船の木製の模型に目が釘付けになった。下は、所蔵している国立民族学博物館のホームページからダウンロードしたものである。
注目すべきは右の横位置の図像で、「シャチ」と解釈され、千島列島北端のシュムシュ島の船にしるすかたちであると説明されている。千島列島北端から南端の島へ船が到来していて、それを見た色丹島の人々が船の模型に残したと理解すればいいのだろうか。 ここから、すぐに想起したのが、私が共同研究を行った、北海道余市町のフゴッペ洞窟にある、よく似たかたちであり、それは次のようなものである。 一見同じものを表しているようにも見えるが、色丹島のものは19世紀末で、フゴッペは、私の持論ではあるが、約1,900年前の作品で、制作時期に関し、極めて乖離している。本来なら、比較のしようのない二者ではあるが、つい思い出してしまったので、ここにも書いている次第である。フゴッペの作例に関しては、一般に「海獣」であるとの解釈がなされていて、私としては、横位置の人物像の可能性もあるのではないかと示唆しているところである。色丹島の「シャチ」にはない、下側の突起がフゴッペの「海獣」にはあるので、私は腕の表現であるとも見なしているわけである。先史美術の解釈は極めて困難であり、すべては仮説の範囲を超えないが、可能な限り証拠をそろえてアプローチすべきであるのは、言うまでもないところである。横位置の人物像という解釈については別のところで詳述しているので、ここでは割愛するが、常に確定していない問題なので、解釈に関しては、似たかたちが見いだされるかぎりは、改めて言及するという姿勢は堅持したいと思う。「シャチ」あるいは「海獣」に関し、下に突起物のある作例をご存じの場合は、是非下記アドレスまで、ご教示いただきたいと願っている。もちろん、他の問題でもどんなアドバイスでも歓迎しているので、よろしくお願いしたい。 ganmenga@gmail.com #
by rupestrian
| 2013-02-06 17:50
| 先史岩面画
「最古」級の意味
雑事にかまけて、なかなかこのブログに向かうことができないが、今日の朝刊に載っていたニュースに押されて、ようやく書き始めている次第である。
エチオピアのコンソ遺跡から175万年前の握斧が発見されたという報道であり、「最古級」という形容で紹介されていた。石器については門外漢であり、下の写真を見ても、皆目、どれが古くて、どれが新しいのか見当も付かないが、左端の上下が175万年前と最も古く、右に行くにしたがって新たしくなり、右端の上下が85万年前とのことである。 ここで問題なのは、なぜ「最古」級であることが喧伝されるのかということである。私も古い時代の美術を学ぶ者として、古ければ古いほど価値を感じる方であり、それは人間が制作して、破壊されたり、消滅させられたりせず、長い間生き延びてきたこと自体が、評価に値するという考え方である。美術作品は、永遠ともいわれるが、実際は、保管場所に困るといった現実的な理由のため、また政治的、宗教的に認めがたい作品は破壊するという理由などで、結構短命なものがほとんどで、人生より長く生き延びる作品は、実は例外的である。まれに評価され続けたという積極的理由もあるが、ほとんどは、存在が忘れられて、見逃された後、「再発見」されて、制作年代が推定されて、ようやく評価されるようになるというプロセスを経ているだろう。洞窟壁画も、10,000年以上、その存在がまったく予想さえされず、1879年にスペインのアルタミラで発見され、その20年以上後の1902年に、実際に10,000年以上前に制作されたと認定されて、研究対象になったのにすぎないのである。このブログでも紹介しているとおり、近年では、何十万年も前に作られたとされるものも紹介されているが、私はそれらを、偏狭なようだが、美術とは認めておらず、まさに洞窟壁画が最古の美術であるからこそ、起源論的アプローチにより、研究してきているのである。 世界各地で何かが発見された時、その最初の報告者である地元の研究者は、より古い年代を発表することが多い。やはり、自分の報告しているものは、より古いことでより価値があり、また、このような古いものが発見される地域(国)に、現在自分たちが住んでいることを誇りに思うこともあるだろう。その気持ちもわからないではないが、国際的に客観的な検証を経て、より新しい年代に落ち着くことがほとんどのようである。なぜ、このような傾向があるのかを考えると、やはり、文化は世界のある場所で「発生」して、それが周囲に拡散していったのだという「伝繙論」の影響があるのではないかと推察される。文化は水と同じく、高きから低きに流れるという思い込みにより、「最古」のものが発見されているこここそが、まさにかつての世界の中心だったといえると思うのではないだろうか。反対概念である「系統発生論」は、世界中のいろいろなところで似たようなものがそれぞれ独立して発生するという考え方で、どちらが正しいかどうかは、まだ結論の出ていない問題であるようにも思われる。 アフリカがホモ・サピエンスをはじめとする、あらゆる人類の発生の地であるというストーリーが定着していて、今回のコンソでの発見もそれをさらに強化することになるだろうが、それも、断片的なデータにもとづく仮説の蓄積の結果であることは、認識しておいた方がよいだろう。まだまだ何もほとんどわかっていないことを自ら認めることが重要であり、にもかかわらず、「最古」を求める意味については、次回ブログで書きたい、と珍しく予告しておきたい。 #
by rupestrian
| 2013-01-29 17:28
| 先史岩面画
ショーヴェ洞窟壁画の年代(続き)
年末年始を挟んで、同じ話題を継続することにしたい。しばらく、このブログにアクセスしていなかったので、かなり旧聞に属するが、前回紹介した論文を精読したので、改めて批判的に紹介することにしたい。
論文の冒頭から4分の3程度は、ショーヴェの洞窟壁画が、従来の様式論的な比較研究から、約32,000年前という極めて古い年代ではなく、もう少し新しい制作年代とされているいくつかの洞窟の作品と同時代ではないかと述べている。これらは、筆者たちの新たな現地調査に基づくデータの紹介ではなく、新旧の様々な研究を総合したものであり、それなりに納得できるものではある。しかし、ショーヴェのAMS法による年代が発表された後では、様式論的な方法意識も見直されているところもあり、少しアナクロ的な印象も否めない。筆者の一人のJean COMBIERは1926年生まれの重鎮であり、新たな年代に踊らされている議論を苦々しく思ってか、アンシャン・レジーム的なものを呼び戻そうとしているようにも思われる。もちろん、100年以上の研究史の蓄積の上に成り立っているパラダイムであり、重厚な論考を軽々しく否定できるものでもない。とはいえ、ショーヴェの多様性に満ちた作例すべてを射程に入れているようでもなく、なぜ、この時期になって、このようなまとめを発表するのかということには、首をひねらざるを得ない。 一方、論文の最後に展開されている年代論は挑戦的である。ショーヴェの年代はすべてパリ近郊の研究所で測定されており、それだけを根拠に、すべての議論は展開され、私も、疑ってこなかったのは迂闊だったといえるだろう。本来、もう一つ別の研究機関でも測定して、それが同じ結果を示してようやく確定した年代に基づいて、論考が可能になるはずであっただろう。この論文では、パリ近郊の研究所が1996年に測定した、スペイン北部のペーニャ・デ・カンダモ洞窟の32,310BPという年代に対し、アメリカの研究機関が2001年に15,160BPというデータを出した、ということを紹介して、パリ近郊の研究所の信頼性に大きな疑問を呈している。1990年前後のAMS法の確立以降、洞窟壁画の絶対年代は多くがこの研究所で測定されており、その扱う資料が汚染されているのではないかと疑うことも、大いなるタブーへの挑戦であるといわざるを得ない。そして、ショーヴェの再測定の提言をして、この論文は終わっているが、実際それが試みられるかどうかは疑問である。この論文が、フランス語ではなく、英訳され、ドイツの学術雑誌に掲載されたということも、何やら示唆的だろう。学術研究というものも、ある種の政治性を帯びざるをえないところがあり、それも見据えて、理論を構築してゆくことが必要なのだろう。 なお、下には、参考までにペーニャ・デ・カンダモ洞窟の作品を掲載する。 #
by rupestrian
| 2013-01-08 12:47
| 先史岩面画
ショーヴェ洞窟壁画の年代
先史美術の研究仲間である、イギリスのPaul G. BAHNからメールがあり、驚くべき論文が添付されていた。ドイツの先史時代に関する学術雑誌Quartärの最新号に掲載された
Chauvet cave’s art is not Aurignacian: a new examination of the archaeological evidence and dating procedures というもので、まさに約32,000年前の制作とされているフランス南部のショーヴェ洞窟壁画がそこまで古いものではなく、いくつかの時代に分けて制作されたのではないかという主張をしているようである。なかには20,000年前より新しいとされている、有名なラスコーと同時期のものもあるのではないかとのことである。まだ全文を精読しておらず、その根拠をここで紹介することはできないが、私も、ショーヴェが人類最古の美術であるということを前提にして、近年の議論を展開しているので、ショックを否定することはできない。筆者はJean COMBIERとGuy JOUVEというフランス人研究者で、フランス語の論文を英訳したのが上記BAHNで、美術の起源論的議論を行っている研究者に全文を送ってくれたようである。最初のページだけは下記アドレスで見ることができるが、全文が必要という方は、末尾のメールアドレスまでご連絡いただければ、添付でお送りすることにしたい。 http://www.quartaer.eu/pdfs/2012/2011_combier_abstr.pdf 下の写真は論文にも引用されている「相対する2頭のサイ」の部分で、この作品から32,000年前というデータがAMS法により得られたのである。 元々発見された直後には、12,000年前の制作ではないかという意見もあったわけであり、その後AMS法による驚くべき年代が出され、それに対しても、しばらくは疑義の念も表明されていたが、10年以上経過して、年代が確定したものとして様々な議論が展開されるようになった矢先の、揺り戻しであり、私としても戸惑うしかないところである。しかし、先史美術研究のような分野では、知見は日進月歩であり、新たな発見があれば、これまでの教科書も書き換えられなければならないのである。美術史を専門とする者としては、科学的な年代測定法は門外漢であり、結果だけを甘受するしかないのが残念なところである。まあ、しかし、嘆いていても仕方ないので、この論文を精読して、より思考を鍛えてゆきたいと考えている。 日本先史岩面画研究会 ganmenga@gmail.com #
by rupestrian
| 2012-12-20 17:42
| 先史岩面画
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